――モーツァルトの協奏交響曲でオーボエ・ソロの片倉聖さん――
ハイルマン・オーケストラが2022年9月11日に鹿児島で開いたシンフォニーコンサートIIで最後に演奏したW.A.モーツァルトの「オーボエ・クラリネット・ホルン・ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲ホ長調(K.297b)」は、モーツァルトが22歳の1778年、演奏旅行中のパリで当時の名手たちのために作曲したものだった。しかし、演奏会直前に楽譜が紛失してしまい演奏されなかったという幻の作品だ。それから150年もたった20世紀初めに写譜が発見され、「モーツァルトの作品ではないのではないか」など様々な議論を呼びながらもモーツァルトの名曲の一つとして認知され、世界の名手たちに演奏されてきた。オーボエ奏者の片倉聖さんも「いつか演奏したい」と思っていたが、その夢がドイツで「オペラ界の星」と呼ばれ、モーツァルトの歌い手の第一人者であるウーヴェ・ハイルマンが指揮するオーケストラとの共演で実現した。「本番では緊張しましたが、すごく楽しかった」という。
クラリネットの堂園さおりさん、ホルンの山下美喜子さん、ファゴットの久保由香理さんと4人でハイルマンとの最初の音合わせに臨んだとき、「ハイルマン先生の考えは自分が考えてきた演奏とはまったく違うアプローチだった」のに驚いた。でも、違和感はなく、「面白そう、やってみよう」と練習を繰り返すうちに、「自分が考えてきた音楽とはまったく違っていて、それがとても新鮮でした」。
最初に習った楽器は幼稚園の頃のピアノだった。その後、どうしてオーボエが好きになったのかは自分でもよく覚えていない。でも、クラシックやジャズのメロディーがいつも家の中に流れているような音楽好きの家庭に育ち、たまたまテレビ番組から流れてきた交響曲の中で耳に残った美しい音色を奏でていたのがオーボエだった。10歳でオーボエを習い始め、中学の頃には地元鹿児島のジュニア・オーケストラのメンバーに。高校、大学でオーボエを学び、13年ほど前、鹿児島で演奏活動を始めたハイルマンと出会った。
「声楽のプロでいらっしゃるので、歌の心というようなものをオーケストラにも要求されます。息づかいとか、フォルテよりも、やわらかいピアニッシモ、さらには、音が出ていない間も大事にされる。オーケストラにも、オーボエにも、歌うように演奏しよう、とおっしゃるのがすごく素敵です」
コロナ禍で演奏活動が制約されたこの3年間、ひたすらオーボエのリードづくりにいそしんだ。鉛筆ほどの葦の木の丸材をフランスから購入し、それをさらに細く、薄く削ってゆく。小さな先端は零コンマ零何ミリ単位に削るという2枚のリードがオーボエの命だ。季節や天候、湿度によってもその振動は変わり、音色が微妙に変わる。だからいつも湿度計を持ち歩き、演奏の直前に楽屋でリードを削って調整することもある。
モーツァルトの「協奏交響曲」のときは、きらきらしたイメージでリードを削り、演奏会場に何本か持って行って天気と湿度をはかって「これにしよう」と決めた。4月24日のJ.S.バッハのカンタータ第199番「わが心は血にまみれ」でソロを吹いたときは、「歌が主なので少し暗めの音が出るように調整した」という。12月11日のヘンデルの「メサイア」は、ソリストの時とは違って、歌とオケとのバランスを考えた音色に整えた。
「繊細な音色のオーボエの表現は人間の声に似ているように思います。私はメサイアとかバッハのマタイ受難曲が大好きで、演奏中はうれしくて幸せだな、と思いながら夢中で吹いています。来年3月のハイルマン県民合唱団・オーケストラのマタイ受難曲のコンサートでは3種類のオーボエを演奏するので、それに合わせて3種類のリードをつくるのも楽しみです」
ハイルマンからは、23年5月に予定しているシンフォニーコンサートでもソロをやってみないかと声をかけられた。どんな曲を、どう演奏するのか。練習も、リードづくりも今から心が弾む。
片倉聖さんのプロフィール
鹿児島市出身。桐朋学園大学音楽学部演奏学科卒業、桐朋学園大学研究修了。1997年~2001年桐朋学園大学、2000年~2004年桐朋学園藝術短期大学、各嘱託演奏員を努める。第14回「小澤征爾/若い音楽家の為の室内楽」に出演。2004年帰鹿。デュオリサイタル、オーケストラをはじめ様々な演奏会に出演。オーボエを眞辺省至、本間正史の各氏、バロックオーボエを本間正史氏に師事。現在、鹿児島国際大学国際文化学部音楽科、鹿児島県立松陽高等学校音楽科、非常勤講師。みやまコンセール協力演奏家。平成20年度かぎん文化財団賞受賞。